下書き

毎日、3,000字文章を書いている人の文章を見る。

なるほど、それくらいをしないと伝えたいことは伝わらないんだろう。野球もキャッチボールの練習が大事そうだし、文字で伝達することも息を吐くくらいの感覚にならないとダメなんだろう。

人間は必ず行動する時に何か気持ちや思いが隠れてる。わかりやすいのでは「ため息」ため息をついたら疲れてるのかな? 人間に絶望したのかな? とか聴いて考えてみると色々と分かってくるし、分かったつもりになる。でも、頭の中で衝撃を受けても、それを外に出そうとしないと何にも伝わらない。からこそ、私は文章を書き続けねばならない。今抱えてるモヤモヤを言葉という品物にして丁寧に誰かにお届けをしないと、モヤモヤは死んでいくのでしょう。気持ちは常に死んでなくなっていく。だから文字だけは無限に続いていく。デジタルが残る限り。文字を見て一喜一憂するのはその誰かが丁寧に届けたいと思ったバックボーンが見えるから私は感動する。

悪意

大衆にレッテルを貼られていくことの、人間の心を殺していく行動に殺される位なら自死を選択するというのは分かってきた。いや、分からないけど醜悪な悪事に加担して「分かってきたね」って言われて、選択肢がないからそうしただけなのに、その行為を誇るなよ。他人の資格を傘にして適当にやってるだけなのに、楽とか言うな。気持ち悪い。ただ単に無視されるレベルでやってる行為なのに。終わってるよ。

むかつくこと

他人が自分より劣っていないと許せない人がいるじゃないですか?親子関係でもそういうことをやってるから子供に馬鹿にされるのではないでしょうか?

尊敬できる部分には尊敬を伝えないとやはり嫌われますよ?

はあああああ

今なら何かが書けるかもしれない。

仕事場で財布を忘れて家に帰れなくて何もかもがうまくいかない時の私なら。

 

失敗は成功のもとなんて言うけれど、失敗は失敗でちゃんと自分でナイフを刺すくらいに傷ついてしまう。こんな痛みは本当は想像して回避すればいいのにどうして私はこんな目に遭わないといけないのだろうか。苦しい。きっと朝から嫌な人間を見たからだ。そう思わないと心が欠けてしまいそう。父親に頼ればいいのにあんな奴に頼るくらいなら身銭を切ったほうがまだマシだ。アイツと話すと頭が狂いそうになる。